苅谷 剛彦

大学入試がすべて悪いのか

『追いついた近代消えた近代 戦後日本の自己像と教育』岩波書店, 2019. 今から振り返ったら(その後)たくさんノーベル賞の受賞者が出て来て、その人たちってみんなその時代に批判をされた教育を受けてる人たちなんですよね。 それがたぶんこの記事の大きなあれ(意義)ですね。 また、実際には存在する「社会階層」を長年に渡って無視・タブー視してきた日本の戦後教育史にも着目した。

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苅谷剛彦とは

しかし、本書においては、この点にも十分配慮がいきわたっていると言えるだろう。

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苅谷剛彦

2006年の安部内閣による「教育基本法」改正の論議。 (それが、実践においてうまくいくか、また、そうした方法論が「総合的な学習の時間」にまで発展したときに教師がどう考えるかはまた別の問題である。

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苅谷剛彦「教育と平等」(2009)

著書 [ ] 単著 [ ]• この中で私たちは「学習」と「努力」という、すでに語義が一義的に確定していて、普通名詞化していると思われている言葉の洗い直しを求められる。 一方で、その当時の教育改革が目指してたのは、子どもたちが自ら学んで、しかも学習意欲自体が押し付けられたものじゃなくて、自分で勉強していくような教育にしていこうということで、しかもそこでは自分で考える力や、興味関心に従って学んでいくっていうことを重視してる時で、(私が)まさに受験教育の典型的みたいなことを言って、学力の低下だみたいに言ってるっていうので、すごく批判されたんですよ。 よくありますよね、あるテーマについていろんな人たちが、そこ(事前に取材した記事)に、また更にコメントする。

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苅谷剛彦『追いついた近代 消えた近代 -戦後日本の自己像と教育―』(岩波書店)

しかもこれその新聞社さんが出してる月刊誌にも、ほぼ全文の対談が後で出るんですね。 前々回の教育改革をテーマにしたレビューで黒崎と藤田の論争を取り上げたが、今回は藤田と同じ教育の分野から、を取り上げる。

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苅谷剛彦とは

たとえば、経済的側面だけ着目して十分な奨学金制度を設けても社会階層の流動化にあまり役に立たないのは、そのためだと考えられている。

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University of Oxford Japan Office

2008年刊行の単行本を文庫化したもの。 今の日本の子どもたちは「自分が一番がんばれること」を探し出して、それにすべての人間的資源をつぎ込みなさいと学校教育でも家庭教育でも誘導をされている。

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